岩城宏之とは? わかりやすく解説

岩城宏之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 03:33 UTC 版)

岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日[1])は、日本指揮者。指揮法を渡邉暁雄齋藤秀雄に師事した。


  1. ^ a b c d e f g h i j 世界の指揮者名鑑866 2010, p. 226.
  2. ^ 岩城宏之『楽譜の風景』岩波新書、1983年、p5。
  3. ^ 当時、打楽器部の定員は2名で、ただ1人の同級生はジャズドラマーの故・白木秀雄だった。
  4. ^ 目白の齋藤秀雄の許へ指揮レッスンを受けに出かけたのは、岩城が芸大3年の時、山本直純から「お前の指揮はあまりにも下手くそでなっていないから齋藤先生のところでみっちり基礎を学んでみないか」と再三説得されたからだという。その頃の齋藤門下には高弟として山本の他に小澤征爾、久山恵子らがいた。入門して最初の3か月間は高弟たちからタタキの特訓でしぼられ、その後シャクイ、センニュウと進んだが、岩城は「齋藤先生から本当の音楽を学びたくて僕はここに通ってきています。高弟たちからしぼられるだけだったら、もうやめます」と齋藤に直訴し、山本、小澤、久山ら高弟が対象の、さまざまな交響曲に関する本格的なレッスンへの参加を特別に許された。後年の岩城の述懐によれば「人生の中でこのときほど一所懸命勉強した時期はなかった」という。『齋藤秀雄・音楽と生涯』(編集・発行 財団法人民主音楽協会、昭和60年初版)「第五章・思い出の齋藤秀雄先生」参照。
  5. ^ 岩城宏之『森のうた』朝日新聞社、pp.11-13。
  6. ^ 1970年3月14日(土)日本万国博覧会開会式 Expo '70
  7. ^ 『作曲の20世紀』 (音楽芸術別冊) p61 (音楽之友社、1999年7月) (佐野光司執筆)
  8. ^ 岩城宏之『フィルハーモニーの風景』岩波新書、1990年。
  9. ^ 岩城宏之『棒ふりのカフェテラス』文藝春秋社、1981年、p81-84。
  10. ^ Iwaki Auditorium
  11. ^ 岩城宏之『九段坂から 棒ふりはかなりキケンな商売』朝日文庫、1994年、p36-40。
  12. ^ 岩城宏之『楽譜の風景』岩波新書、1983年。
  13. ^ #平林 p.327
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n #NHK50 p.253
  15. ^ a b #岩野 (1) p.55
  16. ^ a b #NHKsocon2 p.170
  17. ^ a b c d e #NHK50 p.254
  18. ^ #NHK50 pp.253-254
  19. ^ #岩野 (2) p.42
  20. ^ #岩野 (2) pp.43-44
  21. ^ #NHKsocon3 p.112-113
  22. ^ #岩野 (2) p.44
  23. ^ 公益財団法人 札幌交響楽団 編『札幌交響楽団50年史 1961-2011』2011年、297頁。 
  24. ^ 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ). “岩城宏之”. コトバンク. 2017年12月11日閲覧。
  25. ^ 『官報』号外108号、平成8年4月30日
  26. ^ goo ニュース . “世界的指揮者の岩城宏之さん死去”. スポーツニッポン. 2022年6月25日閲覧。






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