東恩納寛量
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東恩納 寛量(ひがおんな かんりょう、1853年4月17日(嘉永6年3月10日) - 1915年(大正4年))は、那覇手中興の祖といわれる、明治期を代表する唐手(現・空手)の大家である。
- ^ 長嶺将真『史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝』新人物往来社、1976年、96頁。
- ^ 宮里栄一「沖縄剛柔流空手道協会」『精説沖縄空手道の歴史』上地流空手道協会、1977年、747頁。
- ^ 東京大学空手部六十年史記念号編集委員会編『東京大学空手部六十年史』収録の寄稿文、藤原稜三「近代空手道の先駆者 三木二三郎と『拳法概説』」(178頁)を参照。
- ^ 渡口政吉『空手の心』角川書店、1986年、103頁。ISBN 4048520296。
- ^ 図録「義村朝義展」沖縄県立博物館、1981年。
- ^ 沖縄県立図書館通信 第157号(2022年1月号)
- 1 東恩納寛量とは
- 2 東恩納寛量の概要
- 3 経歴
- 4 伝系の問題
- 5 参考文献
- 東恩納寛量のページへのリンク