FM STATION my sound graffiti
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 06:58 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2013年9月)
|
FM STATION my sound graffiti | |
---|---|
ジャンル | 音楽番組 |
放送方式 | 録音 |
放送期間 | 1981年5月1日 - 1989年3月31日 |
放送時間 | 平日27:00 - 27:45 |
放送局 | エフエム東京 |
パーソナリティ | 大橋俊夫 ウィリアム・ジャクソン |
提供 | ダイヤモンド社 |
FM STATION my sound graffiti(エフエムステーション・マイサウンドグラフィティ)は、エフエム東京〔TOKYO FM〕で放送されていた番組。FM大阪でも同時ネットしており、こちらでは一日の最終番組であった。
概要
深夜3時からという放送時間のため、タイマー録音してから聞くリスナーを考慮してか、90分のカセットテープの片面で途切れなく録音(エアチェック)できる45分間という放送時間だった。
カセットテープに録音(エアチェック)されることを意識して、曲にナレーションがなるべくかぶらないスタイルを採り[1]、フルコーラスでLPレコードを全曲オンエアする企画も多くあった。45分間という放送時間で、ほとんどのLPレコードが丸々放送できたが、中にはできないやや長めのものもあり、その場合1 - 2曲カットされて放送されていた。
大橋俊夫が喋るのは基本的に番組の最初と最後のみであり、番組途中のDJはすべてウィリアム・ジャクソンが担当していた。そのため英語に堪能な人でないと曲の始まりが掴みにくく、音楽のみを録りたい場合に録音開始のタイミングを失う時があった。
放送前に、放送内容を雑誌『FM STATION』のカラーページで事前告知する特集を組み、 放送内容とリンクしたカセットレーベルが印刷される号もあった。
『FM STATION』発行のダイヤモンド社の一社提供。(途中からダイキン工業もスポンサーに加わる)。2008年11月30日27:00-28:00に一夜限りの復活をした。
公開収録
毎年、公開録音を東京厚生年金会館で行ない、雑誌『FM STATION』の読者を無料招待していた。各年のライブゲストは下記のとおり。
- 1982年 ブレッド&バター
- 1983年 もんた&ブラザーズ
- 1984年 ザ・スクェア
- 1985年 レベッカ、白井貴子、ECHOES
- 1986年 聖飢魔II、LAUGHIN' NOSE
- 1987年 BARBEE BOYS、PEARL
- 1988年 永井真理子、横山輝一
テーマ曲
- オープニング「Bring It Back Home」 (フレディ・ハバード)
- エンディング「ヴェラス」(クインシー・ジョーンズ)[2]
ディレクター
林屋章(雑誌『FM STATION』との連動企画で誌面にも登場)
脚注
関連項目
FM東京 月曜 - 金曜 27:00 - 27:45枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
(放送休止時間帯)
|
FM STATION my sound graffiti
(1981年5月 - 1989年3月) |
スーパーFMマガジン
(1989年4月 - 1994年3月) |
「FM STATION my sound graffiti」の例文・使い方・用例・文例
- 1999年にAFMM+3財務大臣会議が開催されました。
- 簡単にRFM分析を行うソフトウェアを発売する事が決まった。
- FM 放送は戦後音楽ファンに愛好されるようになった.
- AMまたはFMラジオ放送の製作と放送のための局
- ラジオとテレビ(またはFMラジオとAMラジオ)で同時に流される放送
- FM放送
- FM放送の受信装置
- ミニFM局という,狭い区域向けの放送局
- FM放送の周波数のすき間を利用した多重放送
- 電波法の規制を受けない微小電力のFM放送
- それは「SmaSTATION!!」というテレビ番組から生まれた。
- FM_STATION_my_sound_graffitiのページへのリンク