ブレット・プレブルとは? わかりやすく解説

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ブレット・プレブル

(Brett Prebble から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 15:37 UTC 版)

ブレット・プレブル
基本情報
国籍 オーストラリア
生年月日 (1977-09-23) 1977年9月23日(46歳)
騎手情報
初免許年 1993年
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ブレット・プレブルBrett Prebble、香港表記:柏寶1977年9月23日 - )は香港ジョッキークラブに所属していた騎手オーストラリアメルボルン出身。

来歴

2001年12月、第15回ワールドスーパージョッキーズシリーズでオセアニア代表(オーストラリア)として出場するため日本を訪れる。中央競馬初騎乗は12月1日阪神競馬第9競走のゴールデンサドルトロフィーにてエプソムソルジャーに騎乗し6着。このシリーズは35点で5位の成績だった。12月4日には園田競馬場で行われた第8回インターナショナルジョッキーカップにも出場し2位となった。

2001/2002シーズン、23歳でオーストラリアビクトリア州(メトロポリタン)のリーディングジョッキーとなる。以降アジア各地で騎乗する。

2004/2005シーズンから本格的に香港で騎乗する。466戦37勝で香港リーディング8位。第38回スプリンターズステークスでは単勝8番人気だったケープオブグッドホープに騎乗し3着になった。

2005/2006年シーズンは479戦63勝で香港リーディング2位。

2006年、第6回チャンピオンズマイルブリッシュラックで制し、第56回安田記念も同馬で制し、GIで中央競馬初勝利を挙げた。それと同時にアジアマイルチャレンジで総合優勝となりボーナスを獲得した。また12月には、第20回ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場予定だったダグラス・ホワイトが辞退したため、代役で今回はアジア地区代表として急遽参戦し、30点で5位の成績だった。

2009/2010年シーズンは、年間を通して好調を維持した。一時はホワイトに大きな差をつけて騎手リーディング1位となり、2010年6月20日には、香港ジョッキークラブのこれまでの記録を破る1日6勝の固め打ちを見せたが、翌週にホワイトが1日5勝して差を詰め、7月には逆転されてわずか1勝差でリーディング2位となった。

2011/2012年シーズンは、同郷のザック・パートンが勝利数を伸ばし、熾烈なリーディング2位争いを演じた結果、僅かに1勝及ばず、61勝でリーディング3位に甘んじた。

2012/2013年シーズンでは、88勝を挙げた2位のパートンに比べ、半分以下の42勝に終わり、世代交代を印象付ける結果となった。

2013/2014年シーズンは不本意な成績に終わっている。

2024年6月18日、騎手を引退することを発表した[1]

おもな騎乗馬

脚注

  1. ^ 香港馬で安田記念制した豪の名手引退…「最高のキャリアを歩んできた」ブレット・プレブル騎手日刊スポーツ、2024年6月18日配信・閲覧

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