Alex Hartmann
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/21 03:57 UTC 版)
Alex Hartmann(アレックス・ハルトマン)は日本の音楽クリエーター/プロデューサー、ギタリスト。
幼少期
幼少期から中学までを両親の仕事の関係で海外で過ごした帰国子女で、英語・ドイツ語に堪能。
帰国後は神奈川県と千葉県で育つ。もともと身体が弱く、日本語も殆ど話せなかったことや内気な性格が災いし陰湿ないじめを経験。本人曰く何度もアメリカに戻る事を両親に具申するも聞き入れてもらえず、どうすればいじめられなくなるかを考えた結果ギターを弾くことが最善と考え音楽への道を志す。
幼少期は両親、特に父親が相当厳しかったらしく、『とにかくヒトラーみたいな人で、意見するものならそれが例え正しかろうが間違っていようが常に恫喝された。内気だったのは毎日父親から激しく恫喝されたからだと今では思っている。家族団らんの楽しい食卓、憧れたけどウチでは全く無かったね。食事の時は父親が自分はどれほど偉いか、それをヒトラーの如く兄弟全員に晩御飯の時に延々と言うわけですよ。俺たち兄弟は全員下を向いてご飯を食べながら嵐が過ぎ去るのを待つだけ。毎日がそんな日々だった。学校ではイジメられ、家に帰れば父親に恫喝され殴られ・・・学校では日本語がまともに話せなかったから、また帰国子女自体が珍しい時代、学校もどう対応していいのかが分からなかったらしい。日本語がまともに話せなかったから友達も出来なかったし差別も受けてね、とにかく毎日が辛くて、あの当時は本気で自殺も考えた。でもギターが俺を救ってくれた。』らしい。
音楽活動
17歳でスタジオワークを初経験、20代前半まで主にセッションギタリストとして活動。しかし20代半ば頃、自身が運転していた乗用車に信号無視で交差点に進入してきた乗用車にハイスピードで側面から衝突され瀕死の重傷を負い、一時ギタリスト生命が絶たれたと覚悟したが、懸命のリハビリの末、30歳を目前にして音楽活動を再開。特定のバンドには所属せず、本人曰くバンド内における人間関係の煩わしさやしがらみが嫌いなので、フリーランスとして活動するほうが性に合っているとの事。
80年代から90年代にかけてセッションギタリストとして活動する傍ら、通訳・翻訳業にも携わる。90年代より活動の拠点をアメリカに移し、その後ドイツでも活動。現在は日本に拠点を戻して活動。
現在はギタリストとして活動する傍ら、海外からのバンドを誘致したりイベント企画などもっぱらプロデュース業に活動ウェイトを増やしている。
音楽性と奏法
LAメタルのカラッとしたサウンドを好み、またシュラプネル系のハイテクギタリストの演奏スタイルの特徴である速弾き、スウィープ奏法、タッピング奏法などは現代のギタリストらしく全て持ち合わせている。本人は否定しているが(ヴァンデンバーグから影響を受けたと明言している)、演奏スタイルから明らかにイングヴェイ・マルムスティーンやトニー・マカパインからの影響が大きいと思われる。
機材
当初はフェンダー・ストラトキャスターやシェクターのギターなどを使っていたが、2000年に入ってからはギターは全てシャーベル・ジャクソンを使っている。アンプはMesa Boogie、ヒュースアンドケトナー 。
その他
大のカレー・ラーメン好き。特にラーメンは毎週一回は食べないと体調が狂うらしい。逆に嫌いな食べ物はタコ、イカ、ウニ、クラゲ、貝類全般など魚介類。『水族館でも見られるあの気持ち悪い生き物をとても食べる気にはなれない』との事。
「Alex Hartmann」の例文・使い方・用例・文例
- Alex Hartmannのページへのリンク