18世紀: オーストリアによる最初の統治
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「モンツァ」の記事における「18世紀: オーストリアによる最初の統治」の解説
スペイン継承戦争後の1713年、ミラノ公国の支配権はオーストリアのハプスブルク家(ハプスブルク君主国)に移動した。この時代、都市の復興の時代であり、農業や工業が発展を遂げた。 女帝マリア・テレジアは、ロンバルディアの総督であった息子フェルディナントのためにモンツァの王宮 (Royal Villa of Monza) を建設した。王宮は1777年に着工し、1780年に完成している。美しい景観に加え、戦略上の要衝であったこと、ウィーンとミラノを結ぶという位置にあることからモンツァが選ばれたのである。
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