13番地-15番地:ウィーン工科大学の校舎
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「オペルンガッセ (ウィーン)」の記事における「13番地-15番地:ウィーン工科大学の校舎」の解説
この番地にはウィーン工科大学の校舎として1970年代に巨大な建物が作られた。側面はシャウアーホーファーガッセ通り(Schaurhofergasse)2番地から4番地を占めており、公的な住所としては正面に当たるヴィードナーハウプトシュトラーセ通り6番地から10番地となっている。ウィーン工科大学の講義室と研究施設が入っている。かつてはフライハウス・アウフ・デア・ヴィーデンの敷地だった場所である。 レッセルガッセ通り ヴィードナーハウプトシュトラーセ通りの西側からオペルンガッセへと通っているのがレッセルガッセ通り(Resselgasse)である。オペルンガッセを過ぎると、ベーレンミュール・ドゥルヒガング通路(Bärenmühldurchgang、「ベーレンミュール通路」)に名称が変わる(野外市場のナッシュマルクトがあるウィーンツァイレ右岸通りに至る)。 フライハウスプラッツ広場 レッセルガッセ通りとオペルンガッセの交差地点にはフライハウスプラッツ広場(Freihausplatz)があった。これは1913年、将来的に撤去の見込みとなっていたフライハウス集合住宅街区を記憶するものとして、計画段階で市により命名されたものだが、撤去工事がずれ込んだことから、実際に広場が作られたのは1930年代に入ってからである。1970年代に、ウィーン工科大学の敷地とするため、姿を消した。 イン・デア・ローゼンルッケン通り レッセルガッセ通りと並走する形で、1930年代より、ヴィードナーハウプトシュトラーセ通りからオペルンガッセまで、イン・デア・ローゼンルッケン通り(In der Rosenlukken)が通っていた。これは1913年に市の計画段階で名称が決定していたものだが、フライハウスプラッツ広場と同様に、実際の設置は1930年代までずれ込んだ。フライハウスプラッツ広場と同様、ウィーン工科大学の校舎の建設のため、姿を消した。現在の校舎内を貫くルートだった。
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