鹿沼藩庁(鹿沼陣屋)
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正保4年(1647年)、3代将軍徳川家光に近侍し、小姓組番頭かつ若年寄であった朽木稙綱が5千石を加増され、2万5千石の大名として鹿沼藩を立藩した。 鹿沼陣屋は鹿沼城の麓の、平常時に使用していた屋敷(根小屋)跡に建てられたとされる。現在は鹿沼中央小学校となり、遺構は確認されていない。 のち藩主は内田氏に替わる。1万3千石の内田正偏が不祥事で蟄居処分となったため、子の内田正親が継いだが、1万石に減封の上で下総国小見川藩に移されたため、鹿沼藩は廃藩となった。
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