鵝湖寺の約会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 07:11 UTC 版)
淳熙2年(1175年)4月、東陽県に在任中の儒学者呂祖謙が崇安にいた朱熹を訪ねた。呂祖謙は浙東功利学派の学者で朱熹とは異なる学流に属したが、2人は朱熹の書斎である寒泉精舎で共に二程らの著作について研究を重ね、『近思録』としてまとめた。6月、呂祖謙が東陽へ帰るにあたり、朱熹は呂祖謙の誘いを受けて信州(現在の江西省上饒市)まで赴き、その地の名刹鵝湖寺において陸兄弟らとの対面を果たした。当代の大学者が直に顔を合わせる対論であることから大いに注目され、劉清之(子澄)・趙景明・潘景憲(叔度)など江西から浙江・福建にかけての官僚・学者・両学派の弟子など百数名が集まったという。時に朱熹46歳、陸九齢44歳、陸象山は37歳であった。
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