魚住樂處とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 魚住樂處の意味・解説 

魚住樂處

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 08:34 UTC 版)

魚住 樂處(うおずみ らくしょ、文化6年9月(1809年) - 明治8年(1875年)2月[1])は、江戸時代後期の儒学者朱子学派)[2]。明治時代の教育者、政治家。名は明識[1](「名誠」との記載もあり)。(あざな)は明晶。通称は三郎八。樂處はその福岡藩藩儒[2]

経歴

魚住明倫の子として筑前国に生まれる。藩校修猷館に学ぶ[2]

天保5年(1834年)修猷館指南加勢見習となり[2]、天保14年(1843年)郡代となる。嘉永3年(1850年)致仕する[1]

慶応元年(1865年)勤王の国事に奔走したため、志士と共に禁錮せらること3年[1]。明治2年(1869年)抜擢されて修猷館の文学教授兼伴読となり、明治4年(1871年)藩政に参画し、福岡藩権大参事に任ぜられる[2]

明治8年(1875年)没し、博多の円覚寺に葬られた[1]

出典

  1. ^ a b c d e 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)10頁
  2. ^ a b c d e 笠井助治『近世藩校に於ける学統学派の研究 下』(吉川弘文館、1970年)1565頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  魚住樂處のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

魚住樂處のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



魚住樂處のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの魚住樂處 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS