高階敏忠
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| 時代 | 平安時代中期 | 
| 生誕 | 不明 | 
| 死没 | 永祚2年6月20日(990年7月14日) | 
| 官位 | 従五位上・右衛門権佐 | 
| 主君 | 一条天皇 | 
| 氏族 | 高階氏 | 
| 父母 | 父:高階良臣 | 
| 兄弟 | 敏忠、成忠 | 
| 子 | 業遠 | 
高階 敏忠(たかしな の としただ)は、平安時代中期の貴族。右近衛中将・高階師尚の孫で、宮内卿・高階良臣の子。官位は従五位上・左衛門権佐。
経歴
永延2年(988年)正月の除目で肥前国司に任ぜられる。右衛門権佐を経て、永延3年(989年)摂津守に任ぜられる。この時、左衛門権佐を務めていた。位階は従五位上に至る。永祚2年(990年)6月20日に頓死した。
歌人として活動した高階貴子(儀同三司母)や、源兼俊母は兄弟の成忠の系統だが、敏忠の系統からは院政期に活動した高階栄子や、高階泰経などが出ている。
官歴
- 永延2年(988年)正月29日:肥前国司[1]。閏5月9日:見右衛門権佐[1]
 - 時期不明:従五位上[2]。左衛門権佐
 - 永延3年(989年)4月5日:兼摂津守、左衛門権佐如元[1]
 - 永祚2年(990年)6月20日:卒去[3]
 
系譜
脚注
参考文献
- 高階敏忠のページへのリンク