高橋守雄と鰐淵健之の調停
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:20 UTC 版)
「龍田寮事件」の記事における「高橋守雄と鰐淵健之の調停」の解説
熊本商科大学学長高橋守雄と熊本大学学長鰐淵健之が斡旋にのりだし、高橋学長が責任をもって児童(男児1人、女児2人)をひきとり通学させることとなり、155時間にわたるハンストは中止となった。前の文章は自宅に預かりとあるが、高橋守雄の自宅は別の校区である。この文献によると、某所に預かりとあり、黒髪校区である。1955年度の入学式はそれでも4月18日に延期になった。つきそいは、保母でなく、他校の女性教師がつとめた。校長小崎東紅は、「寮児がはいった新1年のクラスに反対派のリーダーの孫が清掃に行かせてほしいと申し出たことが嬉しかった。このほかに反対派の子や孫たちが新しく入ってきた子供たちを、いとおしむ暖かい心があったことが救いだった」と述べている。
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