高橋ゲタ夫とは? わかりやすく解説

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高橋ゲタ夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/22 16:54 UTC 版)

高橋 ゲタ夫
生誕 (1954-01-10) 1954年1月10日(70歳)
出身地 日本 新潟県三島郡
ジャンル ラテンジャズ
フュージョン
職業 ベーシスト
音楽プロデューサー
担当楽器 ベース
活動期間 1976年 -
共同作業者 ジョン山崎&スクールバンド
石川セリ
オルケスタ・デル・ソル
松岡直也&ウィシング
高中正義
熱帯JAZZ楽団
ピンクボンゴ
ザ・ローライダース
公式サイト 高橋ゲタ夫オフィシャルサイト

高橋 ゲタ夫(たかはし げたお、1954年1月10日[1] - )は日本のベーシスト音楽プロデューサー新潟県三島郡出身[2]

来歴

15歳の時にギタリストとしてミュージシャン活動を開始する。その後18歳の時にベーシストに転向。1976年[注釈 1]に「ジョン山崎&スクールバンド」に参加しレコードデビューを果たす。

その後石川セリのレコーディングに参加したことをきっかけにしてスタジオ・ミュージシャンとしての活動を始める。またギタリストの高中正義のレコーディングやライブ活動、さらに1979年からは和製サルサバンド「オルケスタ・デル・ソル」にも参加[注釈 2]

オルケスタ・デル・ソルではペッカー(橋田正人)やピアニスト森村献とともに中心人物としてバンドを支えた。

1979年、ラテン・フュージョン・ピアニストの松岡直也率いる「松岡直也&ウィシング」に参加。以後、ウィシング、後の松岡直也グループでは『大番頭』としてグループの中心として活躍[注釈 3]する。

松岡グループ以外にも1980年にニュー・ウェイヴ・バンドの『IMITATION』への参加や『熱帯JAZZ楽団』や『ピンクボンゴ』、『ザ・ローライダース』など数多くのバンドでライブ活動、CD・DVDリリースを展開したり、2004年にはボーカリストの寿永アリサのデビューアルバムのプロデュースを手がけるなど、現在でも第一線で活動を続けている。

脚注

注釈

  1. ^ 松岡のアルバム『PLAY 4 YOU』では1974年と表記されている。
  2. ^ 1996年に脱退。これはデルソルの復刻版アルバム「Rainbow Love」のライナーノーツ内に明記あり
  3. ^ 1992年リリースの『松岡直也ベスト・セレクション』内の熊谷美広によるライナー・ノーツより。

出典

  1. ^ 1990年の松岡のアルバム『PLAY 4 YOU』内のミュージシャン紹介による。
  2. ^ Facebookによる

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