高梨澄頼とは? わかりやすく解説

高梨澄頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/03 18:17 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
 
高梨澄頼
時代 戦国時代
生誕 延徳4年(1492年
死没 天文16年(1547年
氏族 高梨氏
父母 父:高梨政盛
兄弟 澄頼中条藤資正室、清秀[1]?
正室:長尾能景
政頼於フ子村上義清側室)

高梨 澄頼(たかなし すみより)は、戦国時代武士

略歴

延徳4年(1492年)、高梨氏の全盛期を築いた高梨政盛の子として誕生。元服の際には、家の慣例によって11代将軍・足利義澄より偏諱を受けて澄頼と名乗る。その後の永正10年(1513年)、父・政盛の死去に伴い家督を継いだ。

高梨氏は隣国の越後国守護代を務める長尾氏と古くから縁戚関係があったが、政盛の死後まもなく長尾為景守護上杉定実との対立が激化する。近隣の信濃島津氏の島津貞忠や井上氏・須田氏などが上杉方に与する中、澄頼は長尾方に味方したため孤立し、さらに善光寺平を北上しつつあった信濃村上氏の圧迫を受け、その勢力は減退した。

上杉定実を抑えた長尾為景の援助の下、高梨氏が勢力を回復するのは大永4年(1524年)のことであり、そのときの高梨氏の当主は澄頼の子・政頼となっている。

脚注

  1. ^ 子とも。

出典

関連項目

先代:
高梨政盛
高梨家当主
1513 - ?
次代:
高梨政頼




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高梨澄頼」の関連用語

高梨澄頼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高梨澄頼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高梨澄頼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS