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高山甚太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 02:00 UTC 版)

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高山甚太郎

高山 甚太郎(たかやま じんたろう、1857年3月26日安政4年3月1日[1][2][注 1]) - 1914年大正3年)10月23日[3])は、明治から大正時代の応用化学者東京工業試験所初代所長。位階および勲等正四位勲三等

経歴

加賀大聖寺藩士、高山慈吾の長男[1][2]1878年(明治11年)東京大学化学科を卒業して理学士の称号を得、理科大学助教授、農商務省権少技長四等技師、農商務省総務局分拆課長などを歴任[2]。耐火材料の研究に従事した[3]

1889年(明治22年)ドイツに渡り、工芸大学に入り地質学を研究し、1891年(明治24年)帰朝し工学博士の学位を授かる[2]。のち、農商務技師、東京工業学校嘱託教授、製鉄所技師審判官などを経て[2]1900年(明治33年)東京工業試験所初代所長となった[3]日本化学会、工業化学会会長[3]。 墓所は雑司が谷霊園1-4a-2-13にあったが、無縁撤去となった。

脚注

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注釈

  1. ^ 『講談社日本人名大辞典』1122頁では安政2年12月1日生。

出典

  1. ^ a b 人事興信所 1903, 487頁.
  2. ^ a b c d e 人事興信所 1915, た88頁.
  3. ^ a b c d 上田ほか 2001, 1122頁.

参考文献




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