撒餌経とは? わかりやすく解説

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撒餌経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 23:13 UTC 版)

撒餌経[1](さつじきょう、: Nivāpa-sutta, ニヴァーパ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第25経。猟師経(りょうしきょう)[2]、『餌食経』(えじききょう)[3]とも。


  1. ^ 『南伝大蔵経』
  2. ^ 『原始仏典』中村
  3. ^ 『パーリ仏典』片山
  4. ^ ゴータマが悟る直前にマーラの誘惑や、攻撃を受けたとされるのも、ゴータマが悟って、教えを説いてしまうと、人間をだまして支配することがやりずらくなってしまうからだとされている(出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思いー双考経 P292 春秋社2004年 中村元監修 及川真介訳)。その感知状況は、ゴータマ個人の悟りの逐一の状況まで感知しているような登場の仕方をしているところからすると、人間にべったりと張り付いているような感じさえしてくる。
  5. ^ ゴータマの時代と現代では、修行者を取り巻く状況も変わり、僧集団の在り方も変化していると見ることができる。それとともに、マーラの支配のわなは、僧集団に対しても、多様に変化しているものと推察される。
  6. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思いー双考経 P282  前書き  春秋社2004年 中村元監修 及川真介訳
  7. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思いー双考経 P292 春秋社2004年 中村元監修 及川真介訳
  8. ^ 初期の仏教においては、そのほかにも、止観や、調和された屋外での禅定、八正道についての考察、苦の止滅、一切の世界を慈悲で満たしたいという願いなどが、第一禅に至るまでの前提としてあったようだ。
  9. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経 猟師と鹿の群れ-猟師経 前書きP366 春秋社2004年 中村元監修 羽矢辰夫訳
  10. ^ そのため、これらの思想は、他の仙人が説いた教えではなく、もともとは仏説であった、とする見解がある。『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 P723 第36経の注4  春秋社2004年 中村元監修 
  11. ^ 想念には外界にあまねく存在するものと、内界の様々な想念があるとする。マーラのわなは、外界と内界の両方にあるといえる。非想非非想の思想と、悪魔のわながつながりがあると見るならば、「解脱」という語は、マーラの眼から逃れるという観点から見た「悟り」であると見ることができる。 外界から内界に向かってゆく想念と、内界から外界に向かってゆく想念とがあり、その想念の動きを止めたところに、空間(物質的な宇宙)の無限や、意識の無限(ブッダの体感する過去現在未来の意識主体の総和)を体感し、そこに住する境地に至ることができるとされている。
  12. ^ これは、宇宙期についての明知にあたるようだ。
  13. ^ これは、諸々の衆生意識についての明知にあたるようだ。
  14. ^ これは、「なにも持たない」ということであるとする経文もある。「なにも持たない」ということは、煩悩を滅することと関係があると思われるので、これは、もろもろの汚れを滅ぼす智に関係があると思われる。
  15. ^ これは、「生は尽きはてた」という言葉に関係があるようである。「闇黒は消滅して、光明が生じた」というブッダの言葉から推察すると、非想非非想の状態に、光明のみが感じられるということのようである。
  16. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経 猟師と鹿の群れ-猟師経 P379 春秋社2004年 中村元監修 羽矢辰夫訳
  17. ^ 第85経や聖求経には、想受滅と思われる境地に至り、教えを説く意欲の亡くなったゴータマに、世界の主であるブラフマー神が、慈悲利他の境地に誘ったことが伝えられている。世界の主は、このままだと世界は滅びる方向に向かってしまう、と言ったとされている。考えてみると、無余の涅槃にとっては、宇宙には生成する時期もあれば、滅びる時期もある訳であるから、それはどちらでもいいわけである。世界の主の放った言葉のうちには、想受滅の解脱とは異なった次元に、諸仏の慈悲を衆生に説く境地があったことがうかがえる。
  18. ^ 魔の働きと戦争とは大きな関連があると考えられるが、現代においては出家生活での想受滅の追及は、国家間の戦争に反対する想念も消失してしまうので、結果的に戦争に加担する立場に追いやられることになる可能性があるといえる。
  19. ^ (出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経 猟師と鹿の群れ-猟師経 P380  春秋社2012年 中村元監修 羽矢辰夫訳)無余涅槃を求める出家者には、抽象的ともいえる「四無量心」としてしか、慈悲について説くことができなかったと見ることができる。


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