顕微鏡使用法の講習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/21 22:09 UTC 版)
1886年(明治19年)1月勧業陳列場内に講習所を設立し、県各郡から蚕糸業組合員を集め、顕微鏡の使用法を教授した。当時の養蚕業者の間には顕微鏡への理解が根付いておらず、「こんな眼鏡でそんな小さなものが見えるというなら、馬の顔を見たらどの位に見えるか」と揶揄する者もあった。 勧業場の講習所は大きな反響があり、1886年(明治19年)5月1日上水内郡三輪村宇木、1887年(明治20年)5月1日小県郡上田町、1888年(明治21年)5月1日上水内郡長沼村西厳寺に組合の伝習所が相次いで設立されると、各地に校長として赴任し、顕微鏡の使用法を教授した。 この頃六工社創業者大里忠一郎と親密になり、1888年(明治21年)6月12日県属を非職とし、7月埴科郡松代町御安町竜泉寺に伝習所を設立すると同時に、蚕種・骨粉肥料の製造事業を計画した。
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