須田慎太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 02:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。2013年6月)
( |
須田 慎太郎(すだ しんたろう、1957年 - )は、日本の写真家。千葉県出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。
日本大学在学中に教授に就任した報道写真家の三木淳に師事する。
人物
歌舞伎町の潜入取材を試みた際には、新宿ゴールデン街でバーを経営する奥山彰彦に依頼し、バーの店員として雇ってもらっていた[1]。その後、歌舞伎町の繁華街で隠し撮りするなどして取材していたが、それに気づいたヤクザに脅され、フィルムを渡すように凄まれた[1]。咄嗟に未撮影のフィルムを渡したが、すぐに見抜かれてヤクザに追いかけられたため、働いていたバー「奥亭」の所在する新宿ゴールデン街に逃げ込むといったトラブルにも見舞われている[1]。
略歴
- 1957年 千葉県に生まれる
- 1976年 日本大学芸術学部写真学科入学
- 1978年 JPS日本写真家協会展奨励賞受賞
- 1978年 APA日本広告写真家協会国際写真展奨励賞受賞
- 1980年 卒業写真展委員長 同大学卒業。芸術学部賞受賞。
写真展
- 1978年(昭和58年) 「ウォンテッド」- 銀座ニコンサロン
- 1983年(昭和58年) 「人間界 シャバ・シャバ」- 銀座ニコンサロン
- 1984年(昭和59年) 「エーゲ永遠回帰の海」- フジフォトサロン
- 1986年(昭和61年) 「人間界 シャバ・シャバ2」- 銀座ニコンサロン
- 1988年(昭和63年) 「THE AMBASSADORS TO JAPAN-駐日大使の素顔」- 新宿ニコンサロン/大阪ニコンサロン/ギャラリー東栄
- 1992年(平成04年) 「人間パフォーマンス」- 銀座ニコンサロン
- 1995年(平成07年) 「緊張の糸はきれたか」- フジフォトサロン
- 1995年(平成07年) 「鯨を捕る・鯨組の末裔たち」- 銀座ニコンサロン
- 2000年(平成12年) 「人間とは何か」- 銀座ニコンサロン
写真集
- 1981年(昭和56年) 「日光東照宮」- 中央公論社(ムック)
- 1983年(昭和58年) 「海の聖地・金毘羅」-山陽新聞社(ムック)
- 1989年(平成01年) 「THE AMBASSADORS TO JAPAN - 駐日大使の素顔」- フォトルミエール/MI通信社
- 1995年(平成07年) 「鯨を捕る・鯨組の末裔たち」- 翔泳社
- 1995年(平成07年) 「スキャンダラス報道の時代-80年代」- 翔泳社
- 1999年(平成11年) 「人間とはなにか」- 集英社
- 2002年(平成14年) 「ももがおしえてくれること」- 主婦の友社
- 2002年(平成14年) 「しあわせももちゃん」- 書籍情報社
- 2004年(平成16年) 「新宿情話」- バジリコ
- 2004年(平成16年) 「パンの本」- 書籍情報社
- 2005年(平成17年) 「エーゲ 永遠回帰の海」- 書籍情報社
- 2007年(平成19年) 「あかいひと」- バジリコ
- 2007年(平成19年) 「パンの本2」- 書籍情報社
- 2007年(平成19年) 「パピヨンと歩こっ!」- バークレー出版
- 2011年(平成23年) 「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地ガイド」- 書籍情報社
- 2011年(平成23年) 「鯨を捕る・鯨組の末裔たち」- フォートレス(電子書籍)
- 2011年(平成23年) 「沖縄の米軍基地・U.S. Military Bases in Okinawa」- フォートレス(電子書籍)
- 2011年(平成23年) 「立花隆と「エーゲ永遠回帰の海」へ」- フォートレス(電子書籍)
- 2012年(平成24年) 「ライフセーバーズ」- フォートレス(電子書籍)
- 2012年(平成24年) 「OZE - FLOWER POWER」- フォートレス(電子書籍)
- 2012年(平成24年) 「エーゲ永遠回帰の海」- フォートレス(電子書籍)
その他
- 1986年(昭和61年) 日本写真協会新人賞受賞[2]
- 2005年(平成17年) 国際写真誌「ZOOM Japan」編集長に就任(2007年まで)
- 2011年(平成23年) 日本写真家協会創立60周年記念「おんな―立ち止まらない女性たち-」展(東京・横浜・京都・新潟・韓国)に参加。
脚注
外部リンク
須田慎太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 01:58 UTC 版)
写真家の須田慎太郎は歌舞伎町を潜入取材しようと思い立ち、奥山に対してバーで働かせてほしいと依頼した。この申し出を受け、奥山は須田を「奥亭」の店員として雇用することにした。須田は「奥亭」を手伝いながら取材を続けていたが、歌舞伎町の繁華街で隠し撮り取材をしていたところ、ヤクザに見つかりフィルムを渡すよう脅された。そのため、須田は咄嗟に別のフィルムを渡したが、すぐに見抜かれヤクザに追いかけられたため、「奥亭」の所在する新宿ゴールデン街に逃げ込むといった騒動も起こしている。取材の顛末は須田の著書『新宿情話』に詳しいが、このような経緯から同書には奥山も登場している。
※この「須田慎太郎」の解説は、「奥山彰彦」の解説の一部です。
「須田慎太郎」を含む「奥山彰彦」の記事については、「奥山彰彦」の概要を参照ください。
- 須田慎太郎のページへのリンク