青山定司 (映画監督)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 青山定司 (映画監督)の意味・解説 

青山定司 (映画監督)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/20 09:59 UTC 版)

あおやま ていじ
青山 定司
生年月日 (1945-06-30) 1945年6月30日
没年月日 (1980-05-20) 1980年5月20日(34歳没)
出生地 満洲国 大連市
死没地 日本 東京都
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1968年 - 1980年
活動内容 1968年 監督デビュー
1979年 最後の監督作を発表
配偶者 青山三江子
主な作品
『家獣』
テンプレートを表示

青山 定司(あおやま ていじ、1945年6月30日 - 1980年5月20日)は、日本の映画監督脚本家映画プロデューサーである[1][2]。第1回ヨコハマ映画祭で自主製作賞を受賞した『家獣』で知られる[2][3]

人物・来歴

1945年(昭和20年)6月30日関東州(現在の中華人民共和国東北部大連市に生まれる[2]。同年8月15日、第二次世界大戦が終結し、引き揚げ後、両親は東京都渋谷区恵比寿で仏具店を開く[2]

1968年(昭和43年)3月、駒澤大学経済学部を卒業、青山デザイン専門学校(現在の東京デザイン専門学校)アニメ科に進学する[2]。満23歳を迎える同年、初めての8mmフィルム作品『追憶』を発表する[2]。1971年(昭和46年)には、同専門学校の学園紛争をテーマに監督・製作した『たろうトウキョウ』を発表する[2]。その後、実家の仏具店を手伝い、日本映画新社の屋上にあった日映美術撮影助手を務めていたが、1974年(昭和49年)、坂英之を主演に『TAKE IT EASY』を監督・製作、公開する[2]

1975年(昭和50年)2月13日、満29歳のとき、坂英之・桂木梨江の主演を得た初めての16mmフィルム作品『信天翁』を公開する[1][2]。桂木は同作がデビュー作となり、同年に公開された『祭りの準備』では、第18回ブルーリボン賞新人賞、第49回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞にノミネートされている[4]

『八月の濡れた太陽』(1976年)、『美しき玩具たち』(1977年)を経て、1979年(昭和54年)、『家獣』を撮影、同作仕上げ途中の同年4月、東京大学医科学研究所に入院する[2]。開腹手術後、退院して再編集、同年10月3日、同作を公開する[1][2]。『小型映画』(編集長日比野幸子、玄光社)誌上で批評家の宇田川幸洋が同作を賞讃する[2]。同作には、作家の鈴木いづみや『映画評論』元編集長の佐藤重臣が出演し、音楽に鳴瀬喜博近藤達郎が名を連ね、金子マリ&バックスバニーが参加していた[2][5]。同作に主演した俳優の麻生亮は、同年11月26日、青山の『美しき玩具たち』に出演した高野光弘、『家獣』に出演した深沢裕子、あるいは左時枝らの出演を得た監督作『棺の花』(原作水上勉)を公開している[6]

1980年(昭和55年)2月3日、第1回ヨコハマ映画祭において、『家獣』の製作・監督に対し「自主製作賞」を受賞する[2][3]。同年5月20日直腸癌のため死去した[2]。満34歳没[2]。それに先立つ数か月前に、妻の青山三江子も病により亡くなっている[2]

没後、ことばと文化センター新宿日本語学校(CLC新宿日本語学校、現在の新宿日本語学校)内に「青山定司フィルム・ライブラリー」が設置され、作品が管理されるが、その後、散逸している[2]。『家獣』については、1980年代に中野武蔵野ホール(2004年5月8日閉館)で再映された記録がある[2]

フィルモグラフィ

  • 『追憶』 : 1968年公開 - 監督・撮影[2]
  • 『淋民(たみ)』 - 監督・撮影[2]
  • 『是怨伝』 - 監督・撮影[2]
  • 『無頼みやこの子守唄』 - 監督・撮影[2]
  • 『たろうトウキョウ』 : 1971年公開 - 監督・撮影[2]
  • 『TAKE IT EASY』 : 主演坂英之、1974年公開 - 監督[2]
  • 『信天翁』 : 主演坂英之・桂木梨江、製作:青山プロダクション、1975年2月13日公開 - 製作・監督・脚本・撮影・編集[1][2]
  • 『八月の濡れた太陽』 : 1976年公開 - 監督[2]
  • 『美しき玩具たち』 : 製作:花魁譚、1977年9月7日公開 - 監督・脚本[1][2]
  • 『家獣』 : 製作:シネマギルド花魁譚、1979年10月3日公開 - 監督・脚本[1][2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 青山定司日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 「妄執、異形の人々 II」特集の裏側で木全公彦、映画の國、紀伊國屋書店、2012年2月12日閲覧。
  3. ^ a b 第1回ヨコハマ映画祭 1979年日本映画個人賞ヨコハマ映画祭、2012年2月12日閲覧。
  4. ^ 桂木梨江、日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。
  5. ^ 家獣、日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。
  6. ^ 棺の花、日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。

参考文献

  • 『日本映画監督全集』、キネマ旬報社、1976年
  • キネマ旬報』1979年9月下旬号、キネマ旬報社、1979年
  • 『世界映画作品・記録全集 1981年版』、キネマ旬報社、1981年

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青山定司 (映画監督)」の関連用語

青山定司 (映画監督)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青山定司 (映画監督)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青山定司 (映画監督) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS