青天白日満地紅旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:01 UTC 版)
一方、北京政府から追放された孫文をはじめとする革命勢力は、北京政府に対抗すべく1919年に広東で国民党を結成し、その際に青天白日の紋章を党章とした。そして、勢力を拡大した国民党は1925年に広州で国民政府を樹立するが、張永福の妻が構想していた国旗案のひとつを参考に孫文が赤地を加えて完成させた青天白日満地紅旗を国旗として定めたため、中華民国には2種類の国旗が並存する事態が生じた。この並存状態は、1928年に蔣介石の南京国民政府が全国を統一した際に、正式な国旗を五色旗から青天白日満地紅旗へと変更したことで解消した。その際に、青天白日の紋章も正式な国章として制定され、これ以降中華民国の国旗・国章は今日まで変更されることなく使用され続けている。国民革命軍の軍旗としても採用され、1948年以降は中華民国陸軍の軍旗として使用されている。
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