雷帝による人選と府主教着座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/02 14:13 UTC 版)
「フィリップ2世 (モスクワ府主教)」の記事における「雷帝による人選と府主教着座」の解説
かねてより正教および修道に多大な敬意を払っていたイヴァン4世(雷帝)は、フィリップをロシア正教会の首座としてのモスクワ府主教にしようとした(この頃まだモスクワの主教座には総主教制は行われていない)。 イヴァン雷帝は「賢帝にして恐怖政治家、敬虔な正教徒にして稀代の残虐者、教養人にして野卑な人物」と言われるほどに矛盾に満ちた人物であったが、この際の希望にも同様に雷帝の人間性の矛盾が露出している。フィリップを修道士として尊敬し、優れた精神的指導者を得ようとしての人選であったが、その2代前の府主教アファナシイは、その頃始まった恐怖政治である雷帝のオプリーチニナ政策に抗議して辞任し、前任者であるゲルマンは雷帝を諌めて二日間で追放されていた。 詳細は「イヴァン4世#人物・逸話」を参照 雷帝の府主教着座の要請に対し、フィリップはオプリーチニナの廃止を条件としたが、雷帝は怒ってこれを拒否し、やむなくフィリップはツァーリの政策に干渉しない事を約束した上で、1566年7月25日にモスクワ府主教に着座した(同名の府主教が過去存在したため、フィリップ2世となる)。
※この「雷帝による人選と府主教着座」の解説は、「フィリップ2世 (モスクワ府主教)」の解説の一部です。
「雷帝による人選と府主教着座」を含む「フィリップ2世 (モスクワ府主教)」の記事については、「フィリップ2世 (モスクワ府主教)」の概要を参照ください。
- 雷帝による人選と府主教着座のページへのリンク