雒陽
県 | ||
周代には成周と呼ばれていた。後漢光武帝劉秀が都を長安から洛陽に遷す。城郭の外壁は東西六里十一歩、南北九里百歩、城内は東西六里十歩、南北九里七十歩である。はじめ洛陽と言ったのを、漢は火徳であったため水を嫌って雒陽と改称したが、魏の時代に戻された。 初平元年(一九〇)二月、朝廷の実権を握った董卓は献帝劉協をむりやり長安に遷し、洛陽の宮殿・人家を焼き尽くしてしまった。 【県令】董宣 / 索盧放 / 虞延 / 周紆 / 李阜 / 楊光 / 王渙 / 任峻 / 陳歆 / 种兢 / 祝良 / 呂放 / 呂禹 / 袁騰 / 虞祁 / 孔昱 / 周暉 / 周異 / 司馬防 / 江双 / 徐循 / 荀融 / 鄧颺 / 李勝 / 劉焉 |
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