隠居と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:24 UTC 版)
元禄16年(1703年)8月21日、病のため隠居し、嫡男の吉憲に家督を譲った。その後の9月14日、将軍・綱吉に来国俊の脇差および牧谿筆の双幅を、御台所・鷹司信子に二条為氏筆の「古今和歌集」を、将軍生母・桂昌院に二条為重筆の「古今和歌集」をそれぞれ献上している。 翌宝永元年(1704年)6月2日、死去。享年42。母・富子は同年8月2日に死去している。国許の米沢御廟に葬られた。 その後、上杉家の財政逼迫は深刻化し、建て直しは曾孫に当たる上杉鷹山の藩政改革を待つことになる。
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