陳玉銘 (汪兆銘政権)とは? わかりやすく解説

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陳玉銘 (汪兆銘政権)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 01:26 UTC 版)

陳玉銘
『最新支那要人伝』(1941年)
プロフィール
出生: 1893年光緒19年)[1]
死去: 不詳
出身地: 盛京将軍管轄区奉天府承徳県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 陳玉銘
簡体字 陈玉铭
拼音 Chén Yùmíng
ラテン字 Ch'en Yü-ming
和名表記: ちん ぎょくめい
発音転記: チェン ユーミン
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陳 玉銘(ちん ぎょくめい)は中華民国の政治家。北京政府奉天派の政治家で、後に蒙古聯合自治政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で要職をつとめた。

事績

1917年民国6年)、奉天専門学校法科を卒業。以後、警察・検察分野を主に歴任し、奉天省柳河県県長などをつとめる。

1937年(民国26年)9月、陳玉銘は于品卿とともに察南自治政府を組織し、于は最高委員、陳は総務処処長兼民政庁庁長となる。1939年(民国28年)9月、蒙古聯合自治政府が成立すると、察南政庁長官に任ぜられた。翌年3月、南京国民政府(汪兆銘政権)の成立とともに、中央政治委員会委員となる。1943年(民国32年)8月、察南政庁が宣化省に改組されると、参議会参議に異動した。

日本敗北後の消息は不明である。

  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』による。『最新支那要人伝』は1890年(光緒16年)12月生まれとしている。

参考文献




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