待宵の小侍従とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 待宵の小侍従の意味・解説 

待宵の小侍従

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:38 UTC 版)

小侍従(こじじゅう、生没年不詳:1121年(保安2年)頃 - 1202年(建仁2年)頃)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけての女流歌人女房三十六歌仙の一人。石清水八幡宮護国寺別当光清の娘。母は小大進[* 1]太皇太后藤原多子女房として出仕したため太皇太后宮小侍従あるいは大宮小侍従と呼ばれ、また『平家物語』等に記されたエピソードから待宵の小侍従(まつよいのこじじゅう)として知られる。『源平盛衰記』では、高倉天皇の在位中は阿波の局と名乗っていたとする[1]


注釈

  1. ^ 大宮小侍従 光清法印女 母小大進(『和歌色葉』 上 名誉歌仙)
  2. ^ 石清水祠官系図等により父光清が垂井と号していたことが知られ、この地名が一族の根拠地を示しているかも知れない。
  3. ^ この逸話の中では、小侍従は八幡の別当の娘ではなく、愛人とされている。
  4. ^ 綾小路敦有の『和琴血脈』によると、小侍従は雅楽頭源範基から和琴を伝授され、以仁王等に伝えたという(『続群書類従』 一九輯上 管弦部 和琴血脈)。

出典

  1. ^ a b 『源平盛衰記』 内閣文庫蔵慶長古活字本 (国民文庫) 巻第十七
  2. ^ 『平家物語』 百二十句本(国会図書館本)巻第五
  3. ^ 無名抄』 大輔小侍従一双事
  4. ^ 古今著聞集』 巻八-十一 好色 322 後白河院の御所にして小侍従が懺悔物語の事
  5. ^ 『玉葉和歌集』 巻第十八 雑歌五 02482
    山家和歌集』 下 0936-0937
  6. ^ 八女市の指定文化財
  7. ^ 『黒木物語』 貞享五年八月下旬写本 八女市
  8. ^ 八女寸寸語”. (3)女郎岳物語(じょろうだけものがたり). 八女市公式ホームページ (2010年12月28日). 2011年12月15日閲覧。
  9. ^ 広報 やめ No.955”. 八女寸寸語 ③ 女郎岳物語(じょろうだけものがたり). 八女市役所市長公室秘書広報係 (2010年9月1日). 2011年12月15日閲覧。
  10. ^ a b c 武田(参考文献)


「待宵の小侍従」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」から待宵の小侍従を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から待宵の小侍従を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から待宵の小侍従を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「待宵の小侍従」の関連用語

待宵の小侍従のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



待宵の小侍従のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの待宵の小侍従 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS