関特演にともなう動員・改称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 06:44 UTC 版)
「対馬要塞重砲兵連隊」の記事における「関特演にともなう動員・改称」の解説
対馬要塞には鶏知重砲兵連隊があり、平時編制で2個中隊を擁して対馬の中心部に位置する雞知町に衛戍していた。対馬各地の砲台は無人か対馬要塞司令部の監守(通常1名の管理員)がいるだけであった。 1941年(昭和16年)7月9日、西部軍司令官は、対馬要塞に演習を装って準戦備を実施するよう命令を下した。命令を受けた鶏知重砲兵連隊は、動員によって集まった応召者を入れて兵力を増し、砲台に部隊を配置して、7月21日に対馬要塞重砲兵連隊として戦時編制に移行した。3個大隊、9個中隊の編制である。連隊の変更は軍令陸甲第81号によるもので、11月30日に編成が完結した。別に、対馬要塞防空隊(2個中隊)と、第66要塞歩兵隊(4個中隊)も編成された。 この動員は、ソ連攻撃の機会を窺う関東軍特種演習にともなうものである。結局対ソ開戦はなかったが、部隊はそのまま準戦時動員にとどまり、教育訓練を実施してから待機状態に入った。
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