関東入り・嫡子は譜代大名に列す
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「本多広孝」の記事における「関東入り・嫡子は譜代大名に列す」の解説
天正10年(1582年)秋、広孝・康重父子は大久保忠世と共に甲州征伐に参加。同11年(1583年)、従五位下・右兵衛佐に叙位・任官(しかし、家康はその後も広孝を豊後守と呼んだと云う)。 同12年(1584年)、長久手の合戦に広孝は小幡城(名古屋市守山区)を守備。天正18年(1590年)8月の徳川家康の関東入部に伴い、子・康重は上野国白井城主2万石に封ぜられると広孝も白井城に移る。 慶長元年(1597年)12月27日死去。享年70。
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