関口義慶二とは? わかりやすく解説

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関口義慶二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 22:15 UTC 版)

関口義慶二

関口 義慶二(せきぐち ぎけじ、1882年明治15年)1月4日[1] - 1945年(昭和20年)2月[2])は、大正から昭和時代前期の政治家群馬県桐生市長。

経歴・人物

関口玉吉の長男として群馬県邑楽郡高島村に生まれる[1][3][4]1903年明治36年)3月、群馬県師範学校を卒業後、教員となり、1907年(明治40年)3月、群馬県川場小学校の校長に就任[1]

ついで、官界に転じ、同県北甘楽郡視学、群馬県属、知事官房主事、碓氷郡長、山田郡長を経て、1925年大正14年)8月12日に桐生市長に就任[1][3]1933年(昭和8年)に桐生火葬場事件の責任を取って一旦辞任したものの[5]、市議会に推されて[6]40日後に再就任し[5]1940年昭和15年)5月まで市長を務めた[3]

1934年(昭和9年)の昭和天皇誤導事件は桐生市で発生した。桐生市に直接の責任はなかったが[5]、桐生市長の関口と桐生市議会議長は謝罪文を発表するとともに、東京の宮内省に出向いて謝罪している[7]

脚注

  1. ^ a b c d 帝国自治協会 1938, 19頁.
  2. ^ 落ち葉掃きの風景”. ウェブ桐生タイムス (2015年12月18日). 2020年11月19日閲覧。
  3. ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 群馬15頁.
  4. ^ 人事興信所 1928, セ16頁.
  5. ^ a b c 先覚の群像 1981, p. 144.
  6. ^ 桐生市制十五年誌後編 1937, p. 1540.
  7. ^ 先覚の群像 1981, p. 172.

参考文献




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