間重富・高橋景保らによる翻訳作業
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「ラランデ暦書」の記事における「間重富・高橋景保らによる翻訳作業」の解説
至時の死後、天文台における『ラランデ暦書』の研究事業は、息子の高橋景保に引き継がれた。しかし景保は当時弱冠20歳であったため、幕府は、かつて至時とともに寛政の改暦にたずさわった間重富を呼び寄せ、事業にあたらせた。 重富は『ラランデ暦書』を第1章から順に訳しはじめ、やがて景保に引き継がれた。そして、オランダ語に良く通じている長崎の通詞馬場佐十郎の協力の元、翻訳は進められた。しかし文化10年(1813年)に起きた浅草天文台の火事により『ラランデ暦書』や翻訳の草稿は焼失してしまい、翻訳事業は中断せざるを得なかった。
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