長福寺_(茨城県大子町)とは? わかりやすく解説

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長福寺 (茨城県大子町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 16:53 UTC 版)

長福寺
所在地 茨城県久慈郡大子町頃藤3357
位置 北緯36度43分12.8秒 東経140度23分00.3秒 / 北緯36.720222度 東経140.383417度 / 36.720222; 140.383417座標: 北緯36度43分12.8秒 東経140度23分00.3秒 / 北緯36.720222度 東経140.383417度 / 36.720222; 140.383417
山号 東勝山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 長元2年(1029年
開山 梅閑律師
中興年 文明元年(1469年
中興 大通詮甫禅師
札所等 大子七福神巡り(寿老人
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長福寺(ちょうふくじ)は、茨城県久慈郡大子町にある曹洞宗寺院

歴史

1029年長元2年)、梅閑律師によって開山された。開山が梅閑律師であることからもわかるように、当初は律宗の寺院であった。

曹洞宗寺院に

1469年文明元年)に、頃藤城主佐竹氏一族の小川和泉守義房により、現在の同県常陸太田市にある耕山寺の大通詮甫禅師を招いて、曹洞宗に転宗して再建した[1][2]

1506年永正3年)、2世亀山香馨の代に頃藤城主、小川義勝によって、現在地に移転。

1907年明治40年)、泰石道痴が石川県天崇寺より移住して当寺を再興

文化財

本堂天井には「二十五菩薩来迎図」が描かれている。これは京都府京都市東山区にある浄土宗総本山知恩院が所蔵している国宝の「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」を模写したものである[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、64-67p
  2. ^ 長福寺(寿老神)大子町観光協会

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年

関連項目

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