長瀬村_(鳥取県)とは? わかりやすく解説

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長瀬村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/04 09:20 UTC 版)

ながせそん
長瀬村
廃止日 1953年4月1日
廃止理由 新設合併
長瀬村浅津村橋津村宇野村羽合町
現在の自治体 東伯郡湯梨浜町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,450
国勢調査、1950年)
隣接自治体 橋津村、浅津村、花見村上井町中北条村
長瀬村役場
所在地 鳥取県東伯郡長瀬村
座標 北緯35度29分24秒 東経133度51分53秒 / 北緯35.48992度 東経133.86469度 / 35.48992; 133.86469 (長瀬村)座標: 北緯35度29分24秒 東経133度51分53秒 / 北緯35.48992度 東経133.86469度 / 35.48992; 133.86469 (長瀬村)
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長瀬村(ながせそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡湯梨浜町の一部にあたる。

地理

天神川の下流に発達した砂丘地帯の東部に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡田後村、水下村、長瀬宿、久留村が合併して村制施行し、長瀬村が発足[1][2]。旧村名を継承した田後、水下、長瀬宿、久留の4大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1953年(昭和28年)4月1日、東伯郡浅津村、橋津村、宇野村と合併し、町制施行し羽合町を新設して廃止された[1][2]。合併後、羽合町大字田後・水下・長瀬・久留となる[2]

地名の由来

集落の南を流れていた旧天神川を長瀬川を称していたことから[2]

産業

教育

  • 1873年(明治6年)長瀬小学校開校[2]

名所・旧跡

  • 長瀬高浜遺跡[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』553頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』551-552頁。

参考文献

関連項目




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