中北条村とは? わかりやすく解説

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中北条村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 02:37 UTC 版)

なかほうじょうそん
中北条村
廃止日 1954年6月1日
廃止理由 新設合併
下北条村中北条村北条町
現在の自治体 東伯郡北栄町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,969
国勢調査、1950年)
隣接自治体 羽合町、下北条村、倉吉市
中北条村役場
所在地 鳥取県東伯郡中北条村大字江北
座標 北緯35度29分00秒 東経133度49分28秒 / 北緯35.48328度 東経133.82447度 / 35.48328; 133.82447座標: 北緯35度29分00秒 東経133度49分28秒 / 北緯35.48328度 東経133.82447度 / 35.48328; 133.82447
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中北条村(なかほうじょうそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡北栄町の一部にあたる。

地理

倉吉平野の北部、天神川と北条川に挟まれた平地西麓に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡江北村、国坂村が合併して村制施行し、中北条村が発足[1][2]。旧村名を継承した江北、国坂の2大字を編成[2]。村役場を大字江北に設置[4]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1954年(昭和29年)6月1日、東伯郡下北条村と合併し、町制施行し北条町を新設して廃止された[1][2]。合併後、北条町大字江北・国坂となる[2]

産業

教育

  • 1873年(明治6年)江北学校開校[4]。1874年(明治7年)江北学校開校[3]。1889年(明治22年)江北学校、国坂学校を統合し中北条尋常小学校を開校[2]。1941年(昭和16年)中北条国民学校を経て1947年(昭和22年)中北条小学校に改称[2]。(参照:北栄町立北条小学校

名所・旧跡

  • 長瀬高浜遺跡[3]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』564頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』231頁。
  3. ^ a b c d 「国坂〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』297-298頁。
  4. ^ a b c 「江北〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』146頁。

参考文献

関連項目




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