下北条村とは? わかりやすく解説

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下北条村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 01:58 UTC 版)

しもほうじょうそん
下北条村
廃止日 1954年6月1日
廃止理由 新設合併
下北条村中北条村北条町
現在の自治体 東伯郡北栄町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,443
国勢調査、1950年)
隣接自治体 中北条村、倉吉市大誠村
下北条村役場
所在地 鳥取県東伯郡下北条村大字弓原
座標 北緯35度28分46秒 東経133度49分19秒 / 北緯35.47939度 東経133.82208度 / 35.47939; 133.82208座標: 北緯35度28分46秒 東経133度49分19秒 / 北緯35.47939度 東経133.82208度 / 35.47939; 133.82208
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下北条村(しもほうじょうそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡北栄町の一部にあたる。

地理

倉吉平野の北部、北条川流域の平地に位置していた[3]

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡弓原村、下神村、松神村、曲村、土下村、米里村、島村、北尾村、田井村が合併して村制施行し、下北条村が発足[1][2]。旧村名を継承した弓原、下神、松神、曲、土下、米里、島、北尾、田井の9大字を編成[2]。村役場を大字弓原に設置[3]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1898年(明治31年)樽見大堤の堤防が決壊し、大字曲字鎌谷の一部で大きな被害を受けた[5]
  • 1954年(昭和29年)6月1日、東伯郡中北条村と合併し、町制施行し北条町を新設して廃止された[1][2]。合併後、北条町大字弓原・下神・松神・曲・土下・米里・島・北尾・田井となる[2]

産業

  • 農業、養蚕、園芸[3]
  • 産物:リンゴ[4]、ブドウ[4]、カキ[5]、葉煙草[6]

交通

鉄道

教育

  • 1873年(明治6年)松神学校開校[7]、土下学校開校[8]。1889年(明治22年)松神学校、土下学校を統合し北条尋常小学校を開校[2]。1941年(昭和16年)北条国民学校を経て1947年(昭和22年)下北条小学校に改称[2]。(参照:北栄町立北条小学校

出身著名人

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』387頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』407頁。
  3. ^ a b c d e f 「弓原〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』809頁。
  4. ^ a b c d 「下神〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』403-404頁。
  5. ^ a b c 「曲〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』403-404頁。
  6. ^ a b 「北尾〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』278頁。
  7. ^ 「松神〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』715頁。
  8. ^ 「土下〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』603頁。

参考文献

関連項目




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