長沼宗泰とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 長沼宗泰の意味・解説 

長沼宗泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/19 20:57 UTC 版)

 
長沼宗泰
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 不明
別名 淡路又四郎左衛門尉[1][2]
戒名 覚源[1][2]
官位 従五位下式部大輔淡路守[1]
幕府 鎌倉幕府
氏族 長沼氏
父母 父:長沼時宗
兄弟 皆川宗員、宗泰、時村
長政、宗秀、宗員、朝実、宗実、宗綱
テンプレートを表示

長沼 宗泰(ながぬま むねやす)は、鎌倉時代武将歌人

経歴・人物

寛元3年(1245年8月15日鶴岡八幡宮放生会宗尊親王の警護役をつとめた[3]。ほか幕府より淡路守護として正嘉2年(1258年)悪党取り締まりの命を受け、建治3年(1277年六波羅評定衆となるなど鎌倉幕府御家人として奉公する[2]。また歌人としても知られ『続拾遺和歌集』などの勅撰集に歌が8首のる[2]

脚注

  1. ^ a b c 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.438(1985)
  2. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『長沼宗泰』 - コトバンク
  3. ^ 吾妻鏡』寛元三年八月大十五日条



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長沼宗泰」の関連用語

長沼宗泰のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長沼宗泰のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長沼宗泰 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS