長岡好重とは? わかりやすく解説

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長岡好重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/18 09:39 UTC 版)

 
長岡 好重
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄4年(1561年
死没 元和3年(1617年)9月15日
改名 三淵平六(平六郎) → 山名伊賀守 → 長岡平左衛門 → 長岡伊賀守
別名 平六郎、平左衛門(通称
戒名 円明院昇月宗林
官位 伊賀守
幕府 室町幕府江戸幕府
主君 細川藤孝
豊前国小倉藩
氏族 三淵氏山名氏長岡氏
父母 父:三淵晴員、母:山名民部少輔一雲斎
兄弟 宮川尼、三淵藤英、佐々木越中守室、玉甫紹琮、梅印元冲、細川藤孝土御門久脩
細川栗(細川藤孝の娘)、細川輝経
長岡重政
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長岡 好重(ながおか よししげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将三淵好重山名好重とも。

概要

初めは三淵平六(平六郎)を名乗っていたが、母が山名民部少輔一雲斎の娘であったことから山名氏を称した。元亀4年(1573年)7月に実兄・細川藤孝に従い青龍寺城に移ると長岡氏を称した。藤孝が天正8年(1580年)に丹後国を領するようになると1000石を賜った。慶長7年(1602年)に従五位下・伊賀守に叙任された。豊前国小倉藩宇佐郡龍王城に1000石を賜った。元和3年(1617年)9月15日に57歳で死去した[1]

系譜

脚注

注釈

出典




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