鎌倉時代の秋田城介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 15:13 UTC 版)
鎌倉時代の建保6年(1218年)3月6日に、鎌倉幕府の有力な御家人である安達景盛が出羽城介に任じられ、約150年絶えていた出羽城介が復活した。これより前、出羽城介廃止の頃から、出羽城介は「出羽秋田城介」「秋田城介」などと書かれるようになり、この頃より後には秋田城介の名で通用するようになった。鎌倉時代には、霜月騒動の後しばらくを除き、代々の安達氏が秋田城介に任命された。 安達氏は秋田城に赴任しなかったので、この時代の秋田城介は名誉職と説かれることが多い。が、宝治合戦に安達氏一味の輩として参加した橘公義が秋田に所領を持つことなどから、秋田城周辺を実際に支配していたとする説もある。
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