鉄輪地獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 17:55 UTC 版)
鉄輪地獄(かんなわじごく)は、1935年(昭和12年)まで存在した地獄で、時の鉄輪郵便局長であった佐原秀太郎が郵便局の隣の敷地に地獄を開拓し、観光客向けに開放していたものである。濃厚な鉄輪地獄の湯煙が湧き立つその中央部に不動明王を祀り、あたかも地獄の入り口のような演出が施されていた。地獄の他にも温泉療養所なども建設されていた。地獄組合に入っていたがバス停から離れていたため観覧客は少なかったが、湯治客で大変賑わっていたという。1935年に入湯貸間鉄輪地獄となり、現在も屋号を陽光荘に変えて入湯貸間旅館として存続している。 所在地:別府市鉄輪字井田
※この「鉄輪地獄」の解説は、「別府地獄めぐり」の解説の一部です。
「鉄輪地獄」を含む「別府地獄めぐり」の記事については、「別府地獄めぐり」の概要を参照ください。
- 鉄輪地獄のページへのリンク