鈴木宗言とは? わかりやすく解説

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鈴木宗言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 16:00 UTC 版)

鈴木 宗言(すずき そうげん、1863年3月24日文久3年2月6日[1][2]) - 1927年昭和2年)2月24日[2])は、明治から大正時代の司法官僚台湾総督府官僚。実業家名古屋地方裁判所長。台湾総督府覆審法院長。大審院検事。位階正三位。旧姓は柴野。

経歴

柴野宗八の弟、中村是公の兄として安芸国[2](現広島県)に生まれ、1873年(明治6年)9月、鈴木正言の養子となったのち分家する[1]。柴野家の墓は現在でも広島県佐伯区五日市の光禅寺にある。1888年(明治21年)7月、帝国大学法科大学法律学科を卒業し[3]、判事補となり1890年(明治23年)判事に進む[1]。以来、横浜地方裁判所判事、同部長、東京控訴院判事、同部長、名古屋地方裁判所長、台湾総督府法院判官、覆審法院部長、同法院長などを歴任し、1907年(明治40年)8月、大審院検事に任じた[1]。退官後、旭薬品工業を創立した[2]。墓所は雑司ヶ谷霊園の1-8-9にあったが、現在は撤去されている。

栄典

著作

  • 述『商法総則』専修学校、1895年。
  • 述『破産法』東京専門学校、1899年。
  • 述『商法総則』日本法律学校、1901年。
  • 『台湾律令論 : 内地及台湾間に於ける法律律令の効力に就て』台湾日日新報社、1905年。

親族

脚注

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1911, す53頁.
  2. ^ a b c d e 上田ほか 2001, 1015頁.
  3. ^ 『東京帝国大学一覧 明治23-24年』帝国大学、1890年、383頁。
  4. ^ 『官報』第5210号「叙任及辞令」1900年11月12日。
  5. ^ 『官報』第5845号「叙任及辞令」1902年12月25日。
  6. ^ 『官報』第7377号「叙任及辞令」1908年2月1日。
  7. ^ 『官報』第1680号「叙任及辞令」1918年3月12日。
  8. ^ 鈴木宗言『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

参考文献




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