金禹植とは? わかりやすく解説

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金禹植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/30 14:52 UTC 版)

金 禹植(キム・ウシク、朝鮮語: 김우식1886年[1]または1888年2月20日[2]または1889年[3] - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国政治家制憲韓国国会議員[2]

本貫瑞興金氏朝鮮語版[4]。漢字表記は金禹埴とも[1]

経歴

慶尚北道(現・大邱広域市達城郡求智面出身[5]。大邱協成中学校、北京大学卒。1917年に韓国太皇帝因山時特別陪従官を務めた後、儒林団長事件で投獄。光復後は大成会委員長、儒道会慶北本部委員長、韓国民主党達城郡支部首席総務・慶北本部監察委員長・党監察委員長、慶北厚生会達城郡支会長・慶北厚生会副会長を務めた。1948年の初代総選挙では伝道会の候補として、達城郡選挙区から国会議員に当選した。在職中の1949年、成楽緒郭尚勲らと共に新民会の発足に参加し、農地改革法案が可決された時、儒林所有の郷校の財産・土地を買収しないでほしいという意見を表明した[1][2][3]

朝鮮戦争の際、北朝鮮拉致された。以後在北平和統一委員会中央委員を務め、1958年以降に老人ホーム監禁生活を送ったた[1][5]

脚注

  1. ^ a b c d 정도영, “김우식 (金禹埴)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0074851 2025年5月30日閲覧。 
  2. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年5月30日閲覧。
  3. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年5月30日閲覧。
  4. ^ (129)서흥 김씨” (朝鮮語). 중앙일보 (1985年1月12日). 2025年5月30日閲覧。
  5. ^ a b 김우식 - 디지털달성문화대전”. dalseong.grandculture.net. 2025年5月30日閲覧。



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