野澤富美子とは? わかりやすく解説

野澤富美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 06:20 UTC 版)

野澤 富美子
(のざわ ふみこ)
『写真近代女性史』(1953年)より
誕生 (1921-02-13) 1921年2月13日
日本 神奈川県横浜市
死没 (2017-10-13) 2017年10月13日(96歳没)
職業 小説家
国籍 日本
活動期間 1940年 -
デビュー作 「隣近所の十ヶ月」
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野澤 富美子(のざわ ふみこ、1921年2月13日 - 2017年10月13日[1] )は、日本作家。別の筆名「小池 富美子」もある。

人物・経歴

神奈川県横浜市生まれ[2]尋常小学校を卒業後、女中や女工として働くが、病弱のため長続きせず、『ホトゝギス』に小説を投稿。1940年、19歳の時、短編小説「隣近所の十ヶ月」が高浜虚子に認められ、『ホトゝギス』1940年4月号に掲載されてデビュー。短編小説「煉瓦女工」が『公論』(第一公論社)1940年5月号掲載され、同年5月、第一公論社からこれらの作品を集めた短編集『煉瓦女工』が発刊され、ベストセラーとなる。短編小説「藪入り」(『婦人公論』1940年6月号)が第11回(1940年・上半期)直木賞に参考候補となる[2]。短編集『煉瓦女工』は、八田尚之によって脚色されて、1940年に南旺映画千葉泰樹監督により映画化された(検閲により公開見送りとなり、1946年になって公開される)[3]。『長女』(第一公論社)を同年11月に刊行。のち結婚して小池姓となる。戦後、日本共産党に入党[2]、小池富美子名義で『ある女子共産党員の手記』(「女の罰」「肝臓の話」「女子共産党員の手記」「墓標」所収、五月書房、1948年11月10日)などを出版した[2]。『煉瓦女工』は、1940年5月の第一公論社版の他に、戦後、1947年の新教育社版、小池富美子名義の新日本文学会版(1948年)が出ている。最晩年には日本民主主義文学会に加入して、いくつかの作品を発表していた。

評価

宮本百合子が評論「若い婦人の著書二つ」(『新女苑』1940年7月号)で、「煉瓦女工」を、同じく映画化された大迫倫子の『娘時代』と並んで紹介し、豊田正子の綴方との比較が論及されている。宮本は、「好評であることが十分にうなずけるつよい迫力をもった、生々しい筆致」と評価した。戦後、宮本は「『婦人と文学』附録」(筑摩書房、1951年4月)で、1948年の『女子共産党員の手記』について、「つよい生活力が燃えさかっている」と評価した。

著作

  • 『煉瓦女工』(第一公論社、1940年5月)
  • 『長女』(第一公論社、1940年11月)
  • 『私の青春時代』(九州評論社編集部、徳田球一紺野与次郎松本正雄春日正一渡辺順三林田茂雄伊藤律らとのアンソロジー、九州評論社、1948年)
  • 『ある女子共産党員の手記』(五月書房、1948年11月10日)
  • 「コスモスの咲く家」『新日本文学』1955年1月号
  • 「おおばこの穂」『群像』1955年5月号
  • 「コムミニスト・マルセーズ」『新日本文学』1955年10月号
  • 「少女余聞」『新日本文学』1957年5月号
  • 「私の二十世紀 山さんとの事」『民主文学』2000年10月号

出典

  1. ^ 『しんぶん赤旗』2017年11月23日付訃報
  2. ^ a b c d 野澤富美子-直木賞予選候補作家-11NF
  3. ^ 上映会情報シリーズ・日本の撮影監督(2)東京国立近代美術館-フィルムセンター




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