野淵龍潜とは? わかりやすく解説

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野淵龍潜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/21 14:08 UTC 版)

野淵 龍潜(のぶち りょうせん、1842年天保12年〉1月13日 - 1909年明治42年〉1月12日[1])は、日本教育者考古学者

人物・経歴

1842年1月13日、摂津国東成郡天王寺村(今の大阪市内)にて野淵徳成の二男として誕生。1872年7月における日置荘西村啓蒙学館(今の堺市立日置荘小学校)の教員委嘱を皮切りに、河州八尾学校(今の八尾市立志紀小学校)、西成郡難波高等小学校(今の大阪市立難波元町小学校)などに在勤。1887年12月28日奈良県属になり、第二部学務課に勤務。1892年8月5日正倉院宝庫取締事務取扱を担当。1894年12月27日奈良公園内社寺宝物及名所旧蹟取調主任になり、翌年6月5日から奈良国立博物館書記を兼任。1898年キリル・ウラジーミロヴィチ1906年アーサー・オブ・コノートが奈良県を訪問した際、付接待委員を務める。

著作

  • 『日本略史字解』、藤田文華堂、1880年。
  • 『初等科小学用作文教授書』(2巻)、有則軒、1882年。※原田卯七郎と共編。
  • 『大和國古墳墓取調書』、1893年。※由良大和古代文化研究協会『大和國古墳墓取調書』として1985年10月に復刻。
  • 「大和五条野古墳墓考」『考古界』5(2)、考古学会、1905年。

関連人物

脚注

  1. ^ 橿原考古学研究所編『橿原考古学研究所論集 第七』岡幸二郎「明治期の奈良県考古学界―野淵龍潜をめぐって―」、吉川弘文館、1984年、133-135頁。



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