野々山兼綱
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野々山 兼綱(ののやま かねつな、天正19年(1591年) - 寛文7年10月28日(1667年12月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。生国上総。実父は上田信綱。母は某氏。通称、新兵衛。丹後守、従五位下。
来歴
先代の野々山頼兼と同じく徳川秀忠に仕えており、慶長14年に腰物奉行となった。大坂冬の陣・夏の陣ともに従軍しており、夏の陣では鎧武者を討って首を得たとの記録が残る。また、元和3年、同5年、寛永3年の秀忠の入洛時に供奉し、寛永8年には近侍となった。秀忠の薨御の後には御番や目付を勤めた。寛永17年、鎖国通告への抗弁のためにマカオから長崎に上陸したポルトガル人を取り調べいてる。
寛文7年10月28日に77歳で死去し、実子の兼周が後を継いだ。法名は無世。
参考文献
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