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釈慈航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/12 01:41 UTC 版)

釈慈航
1895年 - 1954年5月6日
幼名 艾彦才
継栄
法号 慈航
生地 福建省建寧県
自忠和尚
太虚
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釈 慈航(しゃく じこう、1895年 - 1954年5月6日)は、中華民国の禅僧[1][2]

略歴

1895年、福建省建寧県に生まれる。父の艾炳元は私塾の教員。慈航が10歳の時に母が病死、2年後には父が病死した。舅父から生活を照応する。12歳の時、慈航は仏教に触れ始めた。

1912年、18歳で泰寧県峨眉峰にて出家得度。自忠和尚に師事。翌年秋季、江西省九江能仁寺具足戒を受ける。後、円瑛、諦閑、度厄に師事して学び、泉州開元寺寧波天童寺七塔寺金陵棲霞山、安徽九華山常州天寧寺揚州高旻寺浙江普陀山天台県を遊学。1927年、廈門閩南仏学院に入学。1928年の秋季、安慶迎江寺住職に当選。

1930年、慈航は香港からミャンマーまで巡り、ヤンゴンの龍華寺に住す。1933年、中国仏学会を創設。1935年、上海に帰国。1936年、慈航は再び南洋を訪れる。シンガポールマレーシアに仏法を宣揚する。慈航は相前後して創設した州菩提学院、ペナン州菩提学院や、シンガポール、セランゴール州イポーペナン州ムラカ州クアラルンプール各地の仏学院、発行『中国仏学』月刊。1948年、ペナン州極楽寺に住した。1948年の秋季、慈航は台湾に行ってきた、台湾仏学院を創設。後、汐止秀峰山彌勒内院を創設。1954年5月6日、彌勒内院にて示寂。

脚注



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