鄭甲柱とは? わかりやすく解説

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鄭甲柱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 06:54 UTC 版)

鄭 甲柱
各種表記
ハングル 정갑주
漢字 鄭 甲柱
発音: チョン・ガプチュ
日本語読み: てい こうちゅう
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鄭 甲柱(チョン・ガプチュ、朝鮮語: 정갑주1906年6月26日[1]または6月27日[2] - 1963年9月8日[1])は、日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国校長警察署長政治家。第3代韓国国会議員[2]

南荷(ナマ、남하)[1]

経歴

慶尚南道泗川郡(現・泗川市)出身。三千浦公立普通学校(現・三千浦初等学校朝鮮語版)、普成専門学校法科、中央大学法学部卒。日本統治時代は朝鮮学生研究会幹部、新幹会学生部長、光州学生事件普専学生代表、国際学生友交会朝鮮学生代表、東京朝鮮キリスト教青年会理事、東京留学生英語会会長を歴任した。光復後は韓国民主党中央執行委員、東莱韓国キリスト教青年会理事、国際韓国反共会韓国代表、学校法人普興義塾傘下の三千浦中学校・三千浦高等学校・三千浦女子中学校・三千浦女子高等学校の校長、大田警察署長、清州警察署長、警察専門学校教授、泗川教育会会長、三千浦水利組合創立委員長、財団法人普興義塾初代校長・理事長・終身名誉校長[1]自由党所属の国会議員を務めた[2][3]

エピソード

第3代国会初期の国会本会議でジャーナリストを「新聞屋」と呼んで物議を醸して、一躍有名となった[3][4]

国会議員在任中に数回の試行錯誤の後、1956年に故郷の三千浦邑を三千浦市へ昇格させた[1]。しかし、2年後の第4代総選挙では自由党の候補として三千浦選挙区から出馬したが、無所属李在賢朝鮮語版に敗れて、2位で落選した[5]

脚注

  1. ^ a b c d e 故 남하 정갑주 선생 송덕비 제막 동문 故 박재삼 시인 시비도 같이 - 사천신문”. www.4000news.com (2011年12月1日). 2024年11月9日閲覧。
  2. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年11月9日閲覧。
  3. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月9日閲覧。
  4. ^ 第3代国会第19回第2次国会本会議(1954年6月10日)の議事録による。なお、発言者の名前は「정갑식」であるが、第3代国会議員にその名前の議員はいなかったため、誤記だと考えられる。
  5. ^ 전성원 (2018年5月14日). “[세상읽기]보수 몰락의 원인” (朝鮮語). m.khan.co.kr. 2024年11月9日閲覧。



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