都市としての起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:57 UTC 版)
考古学者によると、グダニスクの砦は980年ごろポーランドのミェシュコ1世が原住民との戦いを終えてから建設したものである。997年にプラハのアダルベルトが、ボレスワフ1世に代わって市民に洗礼を施したことを記念して、1997年に1000周年記念祭が執り行われた。 グダニスクはまもなく、ポメレリアとして知られる分裂した公国の中心地となった。ポメレリアとは「海のそばの土地」という意味である。このうち最も有名なシフィエントペウク2世は1235年ごろ、グダニスクに自治権を与えた。当時のグダニスクの人口は2000人ほどであった。この11年前の1224年、グダニスクはすでにリューベックのものと似た都市法を確立していた。リューベックは1226年に都市基本法を制定した。ポメレリアの統治者は徐々に権力を強め半ば独立した侯となり、ポメレリア公国を1294年までそれぞれ分割して統治した。
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