道南十二館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 15:53 UTC 版)
道南十二館(どうなんじゅうにたて)は、蝦夷地(後の渡島国、現北海道)渡島半島にあった和人領主層の館の総称。松前藩の歴史を記した『新羅之記録』に十二の館が記されていることから、この名がついた。東は函館市に所在する志苔館から西の上ノ国町の花沢館まで、渡島半島南端の海岸線に分布する。安東氏の被官である館主はこれらの館をアイヌ民族や和人商人との交易や領域支配の重要拠点とした。
註釈
- ^ 『諏訪大明神絵詞』によると、14世紀の北海道には唐子・日ノ本・渡党という3類の蝦夷集団が存在していた。このうち渡党は道南から津軽に渡航してくる交易民で、同書の描写からすると狩猟文化等においてアイヌに酷似しているが、和人と言葉が通じたという[2]。渡党はアイヌ系和人と和人系アイヌの両属的集団であったとみられ[3]、本州から北海道に逃れた、もしくは北海道に追放された和人の子孫を内包していた可能性もある[4]。海保嶺夫は『新羅之記録』の記述から、渡海してきた(中世日本的な意味での)悪党的な和人が道南で土着化した集団が渡党であったとの見解を示した[5]。考古学者の瀬川拓郎は、渡党は元来、道南の青苗文化人であったが、和人との混住によって最終的に和人化したとみる[5]。
出典
- 1 道南十二館とは
- 2 道南十二館の概要
- 3 脚注
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書から道南十二館を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から道南十二館 を検索
- 道南十二館のページへのリンク