連句人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/19 01:40 UTC 版)
連句人としては俳号牛耳で知られる。1943年根津芦丈に会い連句を知る。1953年頃海音寺潮五郎亭でひらかれた「ゴーロー連句会」を指導。1959年に結成された都心連句会では推されて捌きを担当。1973年に結成された義仲寺連句会を指導し、林空花、高鳥南万子、石川宏作、鈴木三余、わだとしお(村野夏生)、星野石雀等五十余人の連句実作者を養成した。
※この「連句人として」の解説は、「野村愛正」の解説の一部です。
「連句人として」を含む「野村愛正」の記事については、「野村愛正」の概要を参照ください。
- 連句人としてのページへのリンク