近江屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 06:15 UTC 版)

近江屋(おうみや)は、日本各地で店舗や企業、家の屋号として使われる名称。
京都・河原町通の近江屋
幕末に坂本龍馬や中岡慎太郎が暗殺された事件(いわゆる「近江屋事件」)の舞台となった京都・河原町通の近江屋は、由緒ある醤油屋であった。
店を営んでいたのは現在の四条河原町一帯に土地を持っていた名家・井口家で、幕末の井口新助の代に土佐藩の御用達となり、店の2階(井口邸)が龍馬らの滞在先となっていたという[1]。なお近江屋事件の詳細については当該項目を参照。
店としての近江屋は現存しない。新助の子孫が昭和前期まで「近新商店」の名で醤油を製造していたが、それも戦後に廃業となった[1]。
河原町通り沿いの歩道上に、現在「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っている。河原町通りは大正時代末から昭和初期にかけて拡幅されたため、実際に当時近江屋の建物があった場所は、大部分が、現在の河原町通りの路上になる。この石碑が建てられた当時、この場所には、近江屋ではなく井筒屋という店舗があった。これは、昭和初期に、北に隣接する井筒屋が近江屋の土地の一部を購入したためである[2]。このため、この石碑のある位置は、当時近江屋の建物があった場所の内部であり、建物内の比較的奥の場所になる[注釈 1]。
なお、この場所には、過去には京阪交通社やサークルK[3]、回転寿司店[4][5]があった時期もあったが、2024年8月23日よりカラオケ店の「ジャンカラ 京都河原町近江屋店」が立地している[6]。
井口家の墓は金戒光明寺にある。元裁判官の井口博は井口新助の末裔にあたる。
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2014年1月現在の近江屋跡地
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2013年7月に撮影された近江屋跡地
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2011年1月に撮影された近江屋跡地
出典
- ^ a b 「うまいぜよ」坂本龍馬もうなった味!? 暗殺の地・近江屋「直伝の醤油」発見 霊山歴史館で公開へ - 産経WEST 2017年7月2日(2024年9月8日閲覧)
- ^ 大阪毎日新聞社京都支局『維新の史蹟』星野書店、1939年6月、80頁
- ^ “「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の近江屋跡は、サークルKになっていた。”. 幕末散歩. 2024年9月9日閲覧。
- ^ かっぱ寿司プロデュースの新ブランド『京(みやこ)のとんぼ』回転寿司の常識を覆す『食べ放題コース』スタート! - アットプレス 2014年9月1日(2024年9月8日閲覧)
- ^ 高津商会RICA 【京都市】中京区 坂本龍馬と中岡慎太郎の遭難地が京都河原町のど真ん中に! - Yahoo!ニュース 2022年12月18日(2024年9月8日閲覧)
- ^ 坂本龍馬終焉の地にジャンカラが誕生!『ジャンカラ京都河原町近江屋店』本日グランドオープン! - PR TIMES 2024年8月23日(2024年9月8日閲覧)
注釈
- ^ 中村武生『京都の江戸時代を歩く』文理閣, P.171には、この石碑のある場所が、近江屋の土地ではなく、北の隣地であるという記述があるが、誤りであり、ここは北の隣地である井筒屋が近江屋から購入した土地である。
関連項目
座標: 北緯35度0分20.15秒 東経135度46分8.6秒 / 北緯35.0055972度 東経135.769056度
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