軍機處とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 政治 > 機関 > 機関 > 軍機處の意味・解説 

ぐんき‐しょ【軍機処】

読み方:ぐんきしょ

中国清朝軍事・行政上の最高機関1729年軍機つかさどるために設けられ、のちには一般政治をも統轄した1911年廃止


軍機処

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 09:44 UTC 版)

軍機処

軍機処(ぐんきしょ、満洲語ᠴᠣᠣᡥᠠᡳ
ᠨᠠᠰᡥᡡᠨ ᠊ᡳ
ᠪᠠ
、転写:coohai nashūn -i ba)は朝の政治制度で、皇帝の最高諮問機関である。

軍機処の始まりは軍機房と呼ばれ、1729年7月5日(雍正7年6月)に雍正帝ジュンガル遠征時に軍事における決定を迅速にするために設けられた。それまでの政務の最高機関であった内閣は定員が増え、仕組みが複雑になりすぎていたため皇帝独裁を狙う雍正帝はこれを嫌い、少数人数により迅速に決定が出来る軍機房を使ったのである。軍機房の最初のメンバーは怡親王胤祥(在任:~雍正8年)・張廷玉(在任:~乾隆14年)・蒋廷錫(在任:~雍正10年)の3名であった。

1732年(雍正10年3月)に軍機房は弁理軍機処に改称した。雍正帝が亡くなった直後の1735年12月(雍正13年10月)、乾隆帝によって弁理軍機処は廃止され、その職域を拡大して軍事だけではなく政務全てを見る総理事務処が作られた。1738年1月(乾隆2年11月)に弁理軍機処に再び改称され、この時から軍機処のメンバーを軍機大臣とするようになった。

軍機処は内閣大学士や各部の尚書から選ばれた3人から6人ほどの軍機大臣が選ばれ、最高責任者とされた。制度で定められていたわけではなかったが、漢人満洲人がほぼ同数選ばれていた。

清も末期になり、国内が乱れてくると役職が高い人物よりも李鴻章のような背後に軍隊を背負った軍閥郷勇)の方が権勢を振るうようになり、軍機大臣は有名無実化した。

参考文献

  • 清史稿
    • 巻一百十四・志八十九 『職官一』
    • 巻一百七十六・表十六 『軍機大臣年表一』

外部リンク




軍機處と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「軍機處」の関連用語

軍機處のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



軍機處のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの軍機処 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS