足立遠定とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 足立遠定の意味・解説 

足立遠定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 05:47 UTC 版)

 
足立 遠定
時代 戦国時代後期
生誕 不明
死没 不明[1]
別名 勝正?[2]、弥一郎[1]
官位 右馬助[1]
主君 松平家康[1]
氏族 足立氏[1]
父母 父:足立遠正[1]
兄弟 遠定、甚尉[3]
足立政定の妻
養子:政定[3]
テンプレートを表示

足立 遠定(あだち とおさだ)は、戦国時代三河国の武将。

略歴

源頼朝の有力な御家人として知られる足立遠元の末裔という。父は三河岡崎城主の松平広忠に仕え、遠定も弟の甚尉とともに広忠の嫡男・元康(家康)に仕えた[1]。足立氏は後述の酒井忠尚同様に碧海郡上野の武士だったようである[2]

弘治2年(1556年織田氏方に味方して岡崎城を攻めた酒井忠尚を撃退した際に兄弟で戦功があり、その後の忠尚の今川氏方帰順を仲介している[2]永禄元年(1558年寺部城の戦いに甚尉とともに従軍。甚尉はこの戦いで戦死したものの合戦には勝利し、遠定は今川義元より兄弟の戦功を賞して感状を与えられている[3][2]

永禄6年(1563年)元康に反旗を翻した酒井忠尚に属し、忠尚の上野城に籠城した[注釈 1]。翌年に乱は鎮圧され忠尚は出奔したが、遠定は松平氏に帰参している[1][4]。その家督は婿養子の政定が継承し、その子孫は江戸幕府旗本となっている[3]

脚注

注釈

  1. ^ 三河物語』は、上野城に籠城した足立氏について「右馬助」と「弥一郎」がいたとしている[4]

出典

参考文献

 




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  足立遠定のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「足立遠定」の関連用語

1
足立政定 百科事典
34% |||||

足立遠定のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



足立遠定のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの足立遠定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS